2011年10月22日土曜日

第三病棟・・・罪なきものの死について


カミュの『ペスト』の中に、何の罪もない子供がペストにかかり、苦しみの中で死んでゆく場面があります。それを「神の恩寵の一部として考えろ」という司祭に、登場人物の一人が反発する場面でした。私が読んだのは高校生の時でした。

『ペスト』の、作品としての完成度はさておき、私の中にはその時以来、

「罪なきものの、避けられない死」

についての大きな疑問が残ったままでいます。

私はたまたまカトリックという宗教を持っているものですが、カトリックからのその問いに対する教義的な解答は既に出ており、その解答に矛盾はありません(あくまでカトリック教会から見て、という条件つきですが)。

問題はその解答を、一人の人間として、素直に受け入れられるかということに尽きます。

プロテスタントで無教会派の内村鑑三は自分の愛娘の死と葬儀に際して、会葬者の前で万歳を唱えたといいます。確かにキリスト教徒にとって「死」は「神の国への門出」です。でもこれは明らかに、

「やりすぎ」

です。

近親者の死は誰にとっても本来は

「受け入れ難く、悲しみに満ちたもの」

であるし、また健全な人間関係から考えても、

「そうあるべき」

だからです。

『罪なきものの死』・・・。容易に答えは出ませんが、悲しみは悲しみとして受け止め、その後の人生をわれわれがどのように生きてゆけばよいのかを、改めて宿題として出されたということなのかも知れないと、今は思うようにしています。

その悲しみを、カラッと三拍子の長調で歌ったさだまさしさんの「第三病棟」、あまり話題にはなりませんでしたが、隠れた名曲だと思います。

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第三病棟   作詞/作曲 さだまさし

僕の病室 君のそろえた
青い水差しと 白いカーテン
子供の声に 目覚めれば 陽射し
坊やが窓越しに 笑顔でおはよう


あの子の部屋は 僕の真向い
お見舞の 苺が見える
やがて注射はいやだと泣き声
いずこも同じと 君が笑う

遊び盛りの 歳頃なのにね
あんなに可愛い 坊やなのにね
カルテ抱えた 君は一寸ふくれて
不公平だわとつぶやいた


紙飛行機のメッセージ
坊やから届いたよ
夏が過ぎれば 元気になるから
そしたら二人で キャッチボールしよう

返事をのせた 飛行機を折って
とばそうと見たら からっぽの部屋
少し遅めの 矢車草が
狭い花壇で 揺れるばかり


受けとる人の 誰もいない
手を離れた 飛行機
君と見送る 梅雨明けの空へ
坊やのもとへと 舞いあがる